これは返事に限らない話だし、どんな関係性にも当てはまると思っている。

お金がほしいならお金を得る努力をするべき。愛してほしいなら愛される努力をするべき。何かしたい、何かほしいと思うのならばそれを得る相応の努力が必要だと思っている。別に努力が必ず報われるとは思っていない。時には大して頑張らなくても欲しいものを手に入れられることもある。逆に必死に頑張っても望むのと同じだけのものは得られないかもしれない。でもそれは努力をしなくてもいい言い訳にはならない。そして努力すれば何かしらを得ることは出来るとは思っている。

欲しい欲しいと言うだけで、得る努力は何もしない、自分は頑張りたくないなんてわがまま過ぎる。欲しいものがあるのなら、手に入らない文句を言うんじゃなくてどうしたら手に入るかを考える方がよほど有意義。文句言ってるだけ時間の無駄な上、手に入るものも入らなくなる可能性だってある。

SNSは距離のハードルが低い。それはいいところでもあり悪いところでもある。芸能人有名人に限らずフォロワーが多い人は対応も大変。五千人も一万人もフォロワーがいる人に、全部対応しろってそりゃ無茶な話。真面目でまめで一生懸命でちゃんとしている人ほど頑張ってリプライもしているし見落としがないように気を付けている。でもそれでも抜けは発生しちゃう。だってそういう素敵な人にはフォロワーどんどん増えちゃうもの。フォロワーが増えればコメントも増える。どんどん対応が大変になってくる。それにシステムの都合もある。コメント100個も200個もくれば通知もバグることだってあるし、全部は読み込めなくなったり遡れなくなったりする。そうなれば全部のコメントにリプライつけるのは難しいよね。

人に対して優劣をつけてリプライする相手を選んでいるわけじゃない人が大半じゃないかな。多少の優先順位はあるとは思うけど。例えばその日お店に来てくれた人とか。気持ち的にそうなるよね。今日ゲスト来てくれてありがとうって。嬉しいよって伝えたいもの。その日は来てなくてもいつもよく来てくれる人とか。個人的に仲がいい人とか。関係性が濃くなっていればいるほど返事ってしやすいし。

だからもし返事がほしいなら、その人に対する好感度を上げていく努力をするしかないんじゃないかな。ゲスト先に行くとか、握手会に行くとか、ライブに行くとか、方法はそれぞれだけど。熱意って伝わると思う。まぁこれは熱意だけに限らず悪意とかも含む感情全般に言えることだと思うけど。

Twitterにしろブログにしろ、コメントに対してきちんと対応している人って本当に尊敬する。すごい。人気があればあるほど仕事だってたくさんあって忙しいし、コメントも多くて返事も多くなっちゃうのにそれでもなるべく多く返事をするようにしている。時には自分のコメントについた返事だけではなくて、誰かの投稿にコメントつけたりもしている。そうやってたくさんの交流をしている人はそりゃあファンも増えるよね。そしてさらに対応が大変になっていくんだよね。そうなるのわかっているだろうにそれでもやめずに続けているなんて尊敬しかない。

私は毎日ブログを書くことさえままならず、コメントに対するリプもあったりなかったり。何日もTwitter開かないことだってあるしね。そもそもまめではないので、友人たちからの連絡も返事をしないことさえある。読んで、うん。って思って終わりとか。ひと昔前までは絵文字も顔文字も一切使ってなくて、ひどいと[件名:新宿 本文:14時集合]としか書いてなかったり。今ではなるべく気を付けて絵文字顔文字使うようにしているけど気を抜くと忘れるし。句読点のみの文章だと素っ気ない、冷たいって言われてから頑張るようにはしているけどね。って今回一個も使ってなかったーあちゃー(;’∀’)←

書いては消し書いては消しってしてたらこんな時間になっちゃったし削ったつもりでも長くなっちゃった。もっと具体的なことも書いたりしたんだけど、正直ひよった。ダメだ。まだ私は振り切れていないらしい。こんなことじゃ暴露本なんてまだまだ先だなぁ。